表ブログでは言えない四十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2017年08月17日 (木) | 編集 |
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従兄弟宅でお墓の話になった。
私にとっては父方の墓だけど、従兄弟にとっては母方のお墓
お参りには行っているようだけど、従兄弟は別に守る墓がある。

壊れた花入れの話をしたら、どうやら去年には壊れていたらしい。
私は去年はお墓参りはしていなかったので、1年以上は壊れたままという事になる。

たぶん私がお金を出さなかったら、この先もずーっと壊れたままだろうという事は察しがついた。
従兄弟も伯父の娘とは連絡の取りようがなく、全くわからなそうだ
納骨堂は父の名前なので私が引き継ぐがお墓は私のものじゃないけれど、壊れたままにしているのは仏様を粗末にしている様で嫌だし、父が健在なら父はお金を出しただろう。

従兄弟から「何故しま子が全てしているんだ?弟はどうした?」と問われ、今まで黙っていた弟との絶縁のいきさつを話した。

弟は「1人で生きていく」と言ったけれど、1人で生きていくと言いながら、自分がやるべき事を違う人がしている上で胡坐をかいている生き方は違うと思うんだよね。

しようと思えはいくらでもできる。
近くに空港だってある。
羽田からは小1時間
私が何時間かけてくるよりずっと早い
車の免許だってあるから、空港についてからはレンタカーを借りれば何処へも行ける。

だけど、した事も、しようと思ったことないからどれだけ大変か判らないし想像できない。
気持ちがないのだ。
言ってもわかろうとも考えようともしない

私は1人で生きていくという事は父の面倒、残された実家や周辺の事、お寺やお墓、親戚関係、その他もろもろ長男としてやるべきことをしながら1人で働いて暮らしていくことが「1人で生きていく」という事で、1人で働いたお金を自由気ままに自分の事だけに使い、したくない事はしないというのは1人で生きていくのではなく「1人で好き勝手に生きている」だけだと思うと言ったら、従兄弟は黙って頷いていた。

そこまで言って良かったかは解らない
面倒くさい事に巻き込まれたくないと思われたの間違いないだろう

誰もしないなら誰がするの?

自分は関係ないと言える人と言えない人

私は間違いなく後者で、必然的に貧乏くじを引かざるを得ないのだよね。

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2017年08月16日 (水) | 編集 |
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次は農家をしている従兄弟の所の仏壇参りへと向かう。
希薄な関係とはいえ、絶縁状態の従姉妹に比べればまだ付き合いもある。
少なくても父や伯母の万が一の時は連絡は取り合う程度にはね(苦笑)

何処を見ても同じように見える農道を走るので私は決まった道しか走らない。
なのにいつもの道を走ると通行止めになっていた。
だけどスマホのナビですら通行止めは表示されず、通行止めになって居る道を進めと指示がでる。

何処かに迂回路があるだろうとわき道に入るもにっちもさっちも行かず
全く解らないので、いったん国道へ出てからまた農道へ入ろうとしたのだけれど、ナビの指示はやっぱり先ほどの通行止めの道へ入れと指示が出る。

行きつ戻りつしながら、かなり通り過ぎて町まで入ると、見覚えのある工場を見つけて、たしかその工場前の道路をそのまま戻ると従兄弟宅へ行けたはず・・・と記憶を頼りに進むとようやくたどり着いた。いつもなら15分程度で着く道に1時間もかかってしまった。

聞くと去年の台風で落ちた橋がまだ復旧されず、通行止めになっているそうで、迂回路は私が通ってきたその道しかなったよう。

なら「あと15分で着きます」と電話した時に言ってくれよ!!と思わずにはいられなかったが、迷ったと連絡しなかった私も悪いけれど、迷っていると判りながらも従兄弟からも連絡は来ないのだから、まぁそんな関係なのだと再認識

ナビは所詮ナビ
迷いに迷って助けられたのは自分の記憶だった

方向音痴を自覚しているのでいつもナビ頼りであまり道を覚えないのだけれど、ポンコツな自分の記憶もたまには役に立つ

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2017年08月15日 (火) | 編集 |
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お盆休みはお墓参りと納骨堂参りへ

お盆休み中はなんだかお天気が悪い。
雨の中のお墓参りは大変なので、天気予報をチェックしていたのだけど、見るたびに雨の日が増えていく。でもずるずると伸ばしてしまったが、せっかくの休みは実家の草取りもしなければならないし、曇りの日になったのをみて決行。

あちらには昼前に着いたのど、またしても小雨が降っている。
天気予報では曇りになって居るので、そのうちあがるかも・・・とお墓を後回しにして、納骨堂参りをすることに。

さすがにお盆、お寺さんも忙しそう

お花とお供えを上げ、お経をあげてもらっただけてすぐ出てきてしまった。

ちょっと早いけれど、お昼ごはんを食べて、外へ出ると雨が上がりそうだったのでお墓へ引き返す。

水桶と柄杓、線香、蝋燭、供物に花といったものの他に、掃除用のバケツにたわし、雑巾、植木剪定ばさみなど荷物だけで両手にいっぱい。もちろん水桶と掃除用バケツにそれぞれたっぷり水も入っている。
とてもじゃないがこれ加えて傘を持つのは絶対無理。
父と二人で来ていた時は手分けして持ったので気にならなかったけれど、全てを一人ですることになったらこれが意外と大変。

不器用な手で植木を刈りながら、周りを見渡すとどこもかしこも家族連れ
1人で掃除しているのは私くらい。

そうすると賑やかな一団がやってきた。
親子3世代か4世代
若いお祖父ちゃんが幼い孫たちに手を合わせる事。そして唱える言葉を一生懸命教えている。

「いいかーわかったかーここが祖父ちゃん家の墓だぞ、忘れるなよ。次は祖母ちゃん家の墓だぞ~」

なんか微笑ましい
でも墓参りってこういうものなんだよなぁ

さて私も花を上げて帰ろう・・・と思ったら、花入れの片方の底が抜けていて使えない。
いつから壊れていたのだろう
一昨年来たときはなんともなかったのに・・・

このお墓の亡くなった伯父が建てたモノ。
祖父母が入っているとはいえ、管理者は本来は私ではない。
筋で行けば、伯父の娘が引き継ぐものだけど、どうなっている事やら・・・
伯父が亡くなっても連絡も無かったくらいだから、こちらから連絡しようがない。
墓碑に伯父の名前もないのだから伯父がここに入っているかすら解らない。

殆ど面識がない従姉妹と何があったのかは知らない。
ただ、父に聞いた話では幼いころから父方の実家の悪口を母親から聞いて育てられたそうだ。従姉妹は祖父母の家に来た事なんて殆ど無かったはずで、父が出した年賀状も無視されてきた。

伯父からは自分が死んでもきっと連絡はいかない。

そう言われていたが、伯父が危惧していたその通りとなった。
父の実の兄でも、いつ亡くなって、何処に葬られているのかそれすら解らない。

嫁姑の不仲、両親の不仲は末代まで引きずる。

他家の仲睦まじさを目にするたびに、自分の家系の因縁を実感する。

それはそうと壊れた花入れ
いくら位するのかとネットで調べたけれど、全てがネジ式
物自体の金額はともかく、今の台座に取り付けるには石に加工が必要のようでお手上げだった。

とりあえず片方だけ花を上げたけれど・・・・

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2017年08月13日 (日) | 編集 |
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私はコミュ症&会話下手

語弊があるかもしれないが「他人に対して興味が薄い」のかもしれない。
会話は言葉のキャッチボールと言うけれど、それには相手から言葉を引き出すことが必要で、それが出来ない。
何かを質問するという事が詮索しているように感じてしまい苦手で聞こうと思えない。

自分が色々聞かれるのが苦手なので余計そう思うのかも知れない。
頭の悪い私は聞かれれば、言いたくないこともはぐらかすことが出来ずに答えてしまうから。
だからなんだと思うけれど・・・。

なので一緒に働いていても旦那さんや奥さんが何をして何処で働いている人なのか知らないことが多々ある。
旦那さんの仕事を数年たってやっと知ったという事がザラにあるのだ。
何処に住んでいて、子どもが何人いて、年はどれくらいでなんて知らない。
休日に何処へ言ったとか何をしていたとかも殆ど聞かない。

質問することが相手のプライバシーを侵すように感じてしまう

会話上手な人というかコミュニケーション能力に長けた人はこの辺りをズバズバと聞いてくる。
そして不思議とぶしつけのようには思われない。
持ち前の明るさと人懐っこさで親しみやすさに変えてしまう。
たぶん私が同じようにしたら相手は不快に思うことだとしてもそういう人たちはそう感じさせないから不思議だ

昔はこんな風に思ったことなかったのになーと思ったけれど、学生の頃から他人に興味が薄いというのはあったように思う。
だって誰それか○○さんを好きでのどーのこーの・・・という、女子高生が好きそうな話題に全く興味がなく、小中高と一緒だった子がクラスの人気者と付き合っていたことすら全く知らなくて、30年もたってから知ったくらいだもの(笑)

上手な会話の仕方ってどうしたら身につけられるのだろう

年をとるたびにこの能力のなさを思い知らされる

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2017年08月12日 (土) | 編集 |
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世の中には常に「自分の方が上」じゃないと気が済まない人がいる。

何かを言えば「ウチなんて」とか「私なんて」あるいは「ウチの子供なんて」と返ってくる。

何かのモノの話をすれれば、自分はもっとすごいこんなものがあるといい
家庭菜園の話をすれば、自分の畑の方がもっとすごいとなり
病気の話をすれば、自分の病気自慢になり、医者通い苦労話になり
仕事の話をすれば自分のしてきた苦労と自分の子供達の苦労
そしてそんな苦労を耐えて頑張っているウチの子自慢に繋がっていく・・・(笑)
まぁ今は孫自慢にもなって居るようだけれど。

今日もそんな「自分が一番」のオバさんにつかまってしまった。

でも実はそんな話に付き合わされるのは嫌いではない。
だってそういう人には

「へぇ~そうなんですか」
「凄いですねー」
「大変ですね(大変でしたね)」

の言葉で会話が繋がるからだ。

コミュ下手の私にはもってこいの会話の内容というか、会話下手な私でもなんとかなる。
そしてこういう人は自分の「大変」を話したいだけで、こちらの話はほぼ聞いていないしね(笑)

今回も小一時間ほど立ち話をしてしまった。

話終えて、ふと思った。
このオバさんの自慢話は聞いていても苦じゃないのに、どうして結婚を考えた相手の家族が話す自慢話は聞くのが苦痛だったのだろう・・・・と

あぁそうか

そう言われることが私がそこから外れた「そこの家族以外の人」たと認識させられたからだ。

他人の自慢は他人の事だと思えるけれど、自分が家族になろうとした人からとか「ウチの方がもっと・・・」という内容を聞かされると「貴方よりウチの方が凄いのよ」と上から言われているようで嫌だったのだ。

割り切りる他人と割り切れない他人

難しい性格な自分は他人とは必要以上に深く付き合わない方が自分には向いているのかもしれないな

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