表ブログでは言えない四十路びんぼーおひとり様の心のつぶやき
2018年01月12日 (金) | 編集 |
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何度か職を変えてきたが、どんなことがあっても戻りたくないのが前職

精神的な圧もさることながら
帰宅した後でさえ呼び出され、
どんだけ働こうと残業代、休日出勤代はなし

平日休日を問わず私用携帯にバンバン仕事の電話はかかってくるのに携帯貸与どころか通信料の補助はない

代休だってもらえないことも多々で、やめる時でさえ有休消化すらない会社

まぁここまでならどこにでもあるブラック企業なのだろう
(いや、ないかも?)

だけともう一つまともな会社と違うところがあった

「ウチの人」と「他所の人」と言われる区分

普通の会社なら、この言葉は自社の従業員と他社の人を指すはず・・・

だけど前職は違っていた。

社長は一従業員からのたたき上げの人だった。

社長が社長となる前から一緒に働いていた人や元々の友人は「ウチの人」
そして社長となってから採用された人、あるいは他社から転職してきた人は「他所の人」というわけ

私以外、皆縁故入社の中でそんな区別があるのだから私の紛れもなく「他所の人」だった。

社長から直接の言葉を聞いたわけではない。
聞いていたらどれほどショックだったろう。

「他所の人」と言われる人が自分たちがそう言われていることを聞かされ、たいそう憤慨していた。
浮き沈みの激しい業界故、ひどい時など他所で「あの人たちは他所の人だからなんとでもなる」とまで言っていたらしい
そんな話を漏らす人もどうかと思うが、あながちそれが嘘ではないと感じたのが待遇の差

「ウチの人」と呼ばれる人たちは会社から
借り上げた1軒屋を社宅として貸し与えられるか、住宅補助があった。

ストーブが壊れれば好きなストーブを買って
全額会社からお金を出してもらえ

通勤に会社の車を使わせてもらえている人もいた。

一方、「他所の人」と言われる人たちには何もなかった。

1軒屋であろうと持ち家、アパートであろうと関係ない

まったく何もなし

給料は年功や技術面などであっても仕方がないと思うが、
福利厚生は全従業員同じものじゃないといけないんじゃないの?
差があるとしても既婚・未婚、町内・町外、それくらいじゃないの?

そういう事でさえ、まともな会社ならきちんとした給与規定があり、それにのっとって区分けされるはず

私が普通と思っていたことが根底から覆されていた職場だった。

今の会社の社長も前職社長と同様一社員からのたたき上げだ。

だけど常に会社のことと従業員のことを等しく考えている。

私のようなものに社宅を貸し与えてくれているのはもちろん、業績が上がればボーナスに反映し、努力したものには特別手当を考えてくれる。

自分が従業員だった時代があるからこそ、従業員のことを考えてくれる

それも古参、新人、性別、分け隔てなくだ。

まだ経験も浅く、出来ることの少ないし、立ち位置も弱い
時々ミスもする。

吹けば飛ぶような私の立場

だけどあの酷い前職を経験して、今の境遇に感謝する気持ちが持てることだけはよかったのかもしれない

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2017年12月16日 (土) | 編集 |
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仕事柄、他社へ伺う事がある。

今回は実家のある地域の同業他社。
電話して担当者へアポをとって、約束の時間に間に合うように向かう。

社長にご挨拶して名刺交換、その後、担当者とお話しして帰る時にもう一度社長へ挨拶した。

するとその社長さんが「○○さ~ん」と奥の方へ声をかける。

えっ・・・と思い、振り向くと、確かに見知った人が出てきた。
前職会社にいた人。
今はそこの会社の服を着ている。

部署が違うので、顔を合わすという事は月に1度あるかないかだし、それほど親しくなかったけれど、私が辞めた後、風の噂でその人がいた部署が無くなったと言うのは知っていた。
どういう経緯でここで働くことになったか気にはなったが他所様の会社で前職の事を話すのは憚られたので当たり障りのない話をして名刺交換をして失礼してきたが、田舎と言うのは恐ろしい

名刺1枚から、その人が以前は何処で働いていて、どういった人か、社内ネットワークを駆使して情報集約が始まる。
渡した私の名刺から、以前は何処で働いていて何年働き、どういう働き方でいつ辞めたか、そこの会社では瞬時にわかってしまったのだ。

とんでもないブラック企業でも変な仕事ぶり、辞め方はしてこなかった。
社長の友達というだけで私より高い給料をもらっている何も知らない後任に数万も安い私が教えるという矛盾でもきちんと引継ぎをしてきた。

実際、馬鹿らしいと思ったことは1度じゃない
友人にもなんでそこまでしてやるの、信じられない、、アンタは人が良すぎると言われた事もある。

でも立つ鳥跡を濁さず・・・というけれど、感情に任せた負の部分は結局は自分に返ってくる。

友人は辞める時には自分で作ったマニュアルやメモやノートなどは全て持ち帰るし、自分が自分の為に作ったものは全て捨ててくる。あんな会社にそこまで親切にする義務はないなんて言っていたことがあったけれどやっぱり田舎は違う。

そんな事をしみじみと感じながら、あぁ田舎ってやっぱり怖いって思いながら帰社についた。

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2017年11月09日 (木) | 編集 |
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たまに、業界新聞を読むことがある。

たまたま目を通したら前職の職種に関する記事が載っていて目を引いた。

凄く嫌いで辛くて神経をすり減らした仕事
だけど、自分なりに頑張ったのでやはり関連するニュースは気にかかる。

あの業界事情がある程度わかるのでその新聞記事を読んでゾワっとした

あのまま居続けていたら今年はもっともっと過酷で、眠れない日々と電話恐怖症になっていただろう精神状態がわかったからだ・・・。

忙しさはは例年以上
なのに偏りすぎていてトータル売り上げは上がらない
ある程度維持する為に無理をせざるをえない。
というか、無理を強要される。
無理をすれば綻びが出る
クレーム対応、緊急対応
電話から離れられない
その上に皆が忙しいから仕事の割り振りでさえ謂れの無い文句を言われ
挙句の果てに八つ当たりを受ける羽目になる。

一生懸命考え、あちこちに渡りをつけ練った計画でさえ、たった1本の電話で全て無になることも多々

あぁきっと営業さんはいつも以上に大変だったろうな・・・

こういう情報に接する機会があればあるほど、辞めてよかったと思わざるえない。
正直あの会社で何年働こうと得れるスキルというものは無かったと思うが、あの会社ほど辞めて良かったと思う会社はない。

もし無職期間が続き、永遠に続きそうな就活に心が弱っていたとしても「給料を上げるから戻ってきて」と言われたとしても「戻る」という選択は絶対に無かった。

宛ても無く辞めてしまい、就活にはかなりの苦労があったけれど、あの決断は間違いではなかったと、心密かにかみ締めている。


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2017年10月10日 (火) | 編集 |
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20年働いたところでは、業績悪化とともに「多能」であることが求められた。
年々人員削減をする中「この仕事しか出来ない」という職員より「A作業もB作業も出来るし、何処の仕事でも出来ます」という職員のほうが評価が高かった。
上役がつける考課表には「単能工」「多能工(2~3工程)」「多能工(3~工程)」といった項目があったくらい。

リストラはやはり単能工から始まった
もちろん最初は希望退職を募るところから始まる。
だけど声を掛けるのがそう言う人たちからって事

ここしか出来ない・・・

そう言う人がいると人数が少なくなるほどシフトを組むときに限定され、多能な人にばかり負担がかかるからだ。
非情だと思わなかった訳ではないが、生き残る為に致し方ないことだったのだろう
削減人数に達するまで誰もがビクビクしていたと思う。
そうして仲間を切り捨てていっても、そのうちに部署丸ごとの廃止となる

「事業縮小の為」

ハロワに出す離職票にこの文言を何度書き、何度説明したことだろう。

それでも会社は存続できなかった。
社会の荒波に放り出されると今度は「専門性」を問われた。

中高年になると今まで求められた「何でも出来る」よりも「○○に関しては人より優れている」という事が就活市場ではセールスポイントになる。
中高年になると「広く浅く・・・」というより、「狭くてもより深く」という事が求められた。

業種、業務を問わずに転職してきた私の知識は「広く浅く」だ。
20年働いたところでも色んなことをさせてもらったけれど、所詮は「広く浅く」なのだ。
幸い再就職は出来たけれど、アラフィフになって就活に苦戦し、「専門職の強み」というものを実感もした。

働ける年数が少なくなるにつれ、いつ何かあるのか判らないし、若かりしうちに何かしらの専門性を付けるべきだったと後悔している

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2017年10月09日 (月) | 編集 |
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有給の概念がないブラック企業で働いていたときは勿論、有給がきちんと付く会社でも全ての有給を使い切ったことはない。

有給を使うのは通院や検査、あるいはどうしても平日でなければならない用事があるときのみ
突然具合が悪くなって当日急遽病欠という事はあるけれど、それ以外は前もって申請をして、有給を使う形。

20年働いたところはライン業務もあったのでもっとシビア

作業する人が休むとラインが動かない
最低4人いないと動かせないのに2人も休んだらそこのラインは停めないとならない。
勿論休務要員は確保していたので、各部署で割り当てられた休務要員の範囲で各自が休みを申請し、重なったら当事者同士で話し合いをしてもらう。だからどうしても譲れないときは2ヶ月3ヶ月前からの有給の予約をする形

だから一番困るのが当日突然休む人

予定外に突然休勤者が出ると何処かの部署を停めて、その部分は残業を掛けたり、あるいは職長が現場に入ってラインを停めないようにする。
当然、他のやるべき仕事は滞るので、これをする人は現場の上司から酷く評価が低かった。
休む本人は「有給があるから当然の権利」という意識らしいが、体調不良や冠婚葬祭以外で突然休む日とについては上役からはある意味「自分勝手」「協調性がない」あるいは「アテにならない人」という評価をされ、賞与などの考課や信頼度は低かったよう。
逆に仕事が無いときや人が余っているときは、出勤してから仕事を確認したうえで堂々と有給を使ってパチンコへ行く人たちもいたけど、こちらは笑って送り出されていたくらい(笑)

私は事務方だったのでラインではなかったけれど、私が休むと私の仕事をする人がいなく、過去にそれをしていた札幌営業の人にお願いして代行してもらったので休みづらかった、
有給を年に10日以上も捨てていたのを知った上司が代わりにすると言ってくれたものの、簡単にはいかず、平日休めるような体制になるまで数年を要しただろうか

業績が厳しくなり、早期退職募集から始まり、JIT(Jast in time)などをして、分単位で業務にかかる時間を計り、切り詰め、リストラをして少ない人数でも作業効率をあげて工場の存続を図ろうとした。

そんな中で自由きままに当日休む人たちはいなくなった。

そこまでしても職場は無くなった。
早くリストラされた人の方が幸せだったのか、最後までしがみついた方がよかったのかは判らない

だけど有給の使い方を考えてしまうクセはなかなか抜けきれない

今の会社も遊びや旅行で有給は使う人はいない。

職場の風土なんだろうねぇ

だから当日突然休めたり、旅行や遊びなどで自由に有給を使える会社の人たちがちょっと羨ましかったりする。

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